障害者の社会参加とか

『個性』として解釈することが合理的だと思っていたけれど,ちょっと認識不足だったもしれない。例えば利手の右左でも自動販売機のコイン投入口とか自動改札の並びとかって多くの場合,右利きのヒトに“配慮”して作られている。利き腕なら慣れとか訓練でなんとか対応出来る問題だけども。多数の健常者に配慮してデザインされた『便利』は,慣れとか訓練でどーにもならない少数の『個性』を排除してしまっているかも。

多くの人は「健常者は配慮を必要としない人、障害者は特別な配慮を必要とする人」と考えている。しかし、「健常者は配慮されている人、障害者は配慮されていない人」というようには言えないだろうか。

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