千の風になって

死に行くヒトにとっては、単に肉体を維持する生命活動の停止である。生き続けるヒトにとっては、その人のやり掛けの仕事とか、意思とか印象とかが遺される。その遺物は生命活動のオプションである『記憶』に刻まれているから、何処にでも着いてくるぞ、まるでずっとそこにあったかの如く。それくらいのコトは理解していたので、この歌はそれほど新鮮ではない。墓参りに行かない言い訳が必要な人達が結構いることは判った。
サウザンドをそのまんま「千の〜」と和訳したところがヒットの肝だな、たぶん。ちらっと詩を読んでみて"thousand"の意図に「たゆたう」って言葉を思い出した。漢字が難しい「揺蕩う」、動揺の「揺」放蕩息子のトウとか使うんだ。レミオロMENなら喜んで歌詞に使いそう。河は流れを同じくしてしかも同じ水にあらず、とか動じずしかも滞らず、って感じ。いたるところに満ち溢れ、静かに躍動する「何か」。音を感じる、天上界の音楽みたいな。ユーシの「悠」の字もこの感じ。地上の人工音ではエンヤが近いかも、いややっぱりジミヘンドリクスのAre You Experiencedだな。テノール歌手の朗々たる声はちょっと違うかも。
反省:前半は唯物論的で、後半は非常にパーソナルに観念的だ