んでまぁ君が代とか国旗とか

私が義務教育を受けた昭和50年代ってまぁ,実際よく知らないけど全共闘だとか学生運動だとかイチゴ白書だとかサリンジャーだとかを引き摺った先生たちが多くて。非武装非暴力ラブアンドピースを圧倒的に標榜して,わざわざ敵ほじくりだして罵倒,って今考えるに妙な筋道の思想家がなんだか学校から外にも出ず公務員教師を継続するなんて,あ悪口みたいになったけど。そんな雰囲気だったのかも。
悪口みたいになっちゃったのは,帰り道すがら「仰げば尊し」を心リフレインしてて「おかしくないか,これ」て思ったから。
我が家の筆頭17歳長女は「卒業式で仰げば尊し歌うのだが知らないし」という。そうもはや小中学校の卒業式で歌っていないのだ。歌詞引用。

仰げば 尊し わが師の恩
教えの庭にも はや いくとせ
おもえば いと疾し このとし月
いまこそ わかれめ いざさらば
互いに むつみし 日ごろの恩
わかるる後にも やよ わするな
身をたて 名をあげ やよはげめよ
いまこそ わかれめ いざさらば
朝ゆう なれにし まなびの窓
ほたるのともし火 つむ白雪(しらゆき)
わするる まぞなき ゆくとし月
いまこそ わかれめ いざさらば

「わが師」に帰依し「名を挙げ」ることが先生の恩に報いることである,と。義務教育について思うのは「標準カリキュラムで(存在|権利)を主張できるくらいの知識素養を身に着ける」「ミニチュア社会で群への貢献と私への報酬のバランスを憶える」ことで,「師の教え」を有難く頂戴する要素は実感として無い。小中学校の先生には「師を選ぶための基礎」を期待しちゃうね,まぁそれも師ともいえるけども。
であるからして,「仰げば尊し」を止め,義務教育を受ける権利を保障している国のシンボル「国旗に礼」「国歌斉唱」の方が筋道は通っていると思うのだけれど,「君が代」歌うときになんだか居心地の悪さを感じた。なにかの呪いがまだ解けていないんだな,オレ。