ウソとホントに境目はあるのか

たとえばエコ産業,まぁ温暖化と化石燃料によるCO2排出てのはデータの眺め方とそもそも仮説の立て方で因果関係の有無がまったく変わるみたいだ。
たとえば沖縄米軍基地,騒音とか警察権の不条理,思いやり予算とか持ちつつと地元の産業とか消費の経済構造にすでに組み込まれてしまっている側面もあり。沖縄県の中での移転だとスポットな新規消費が発生する。グアムに下がってもらいましょう案だと傘に入れてる範囲がずれるので軍備の配置も変わるけどそれは米国内需,不条理も消えるがもろとも全てを失ってしまうかもしれない選択。
たとえばイチローオザワっていうか民主党トップ付近の人たち。大抵のオトナは,政治屋さんの世界が中学の社会科教科書に書いてるみたいに清潔でないと信じているけど,茶番な予感ていうか確信あったけど。やっぱり「秘書が」被ったりするし病気だとか入院だとか任意聴取渋るだとか。
性善説性悪説とかバッタリ倒れこんで語るつもりもないけれど,なんか人が生きる根源って「生きた証を残したい」つまり「誰かに褒められたい」とかそんな欲求だと,やっぱり思ってる。最終的に褒められたいからヨゴレてもいいなんてベースだから,更正元不良少年とかに同情しちゃうんですかね。
などと,後厄の中年になってまだボーズみたいなことを考えて酔う。