継続的かつ執拗に暴力脅迫恐喝行為を受け続けたらしい男子高生が自殺

本当はナニが行われていたか、それは当事者しか知らない事。それがどれほどの苦痛だったか、それは死んでしまった子しか知らないこと。テレビや新聞がセンセーショナルに伝えるのは弁当箱の中身が母ちゃんの詰めたオカズとは違うモノだったとか、メールや日記の象徴的な部分だ。たぶん意図的に具体的な暴力行為をただホノメカしている。少年が受けた暴力行為をいろいろ想像してしまった、自分自身に内在する残虐さが意識の表相に晒されるわけだ。とてもオゾマシイ。
寺山修司の言葉を借りればこれは自殺ではない。苦痛を取り除くために選ばされた死は「苦痛に殺された」他殺なのだという。この件では少年を殺したのは暴力脅迫恐喝の行為者ということになる。
インターネットには実名を特定して非難する書き込みがいくつも掲載されている。たぶん,マスコミから得た情報を元にワシと似たような暴力行為をイメージしているんだろう。そのイメージのオゾマシサに耐えかねた怒りが非難書き込み行動を生むエネルギーなのだと思う。しかしてイメージを受け取ったヒトが新たなイメージを表現し,オゾマシサはエスカレートしていく。
この件については,すでに状況の解明は警察で行われている。暴力の痕跡,脅迫の証拠などが手がかりで同級生の中から逮捕者も出ているとのこと。犯罪が立件されれば,然るべき罰が与えられるであろうし,立件に至らずとも暮らしにくくなったり進学とかに影響が出るだろう。それが,死を選ばされた少年が感じた苦痛に釣合う罰になるかはわからないけど。
怒りで妄想力を開放して残虐性をエスカレートさせて,さらに怒ってインターネットに書き込むスパイラルアップを続けるより,そのエネルギーをたとえば「暴力,脅迫行為を受けたら警察に告訴しましょう,学校内もフツーの社会です。」ってキャンペーンを警察と学校に要請する活動とかに向けたらどうだろうね。とちょっと思う。
今夜は,月がキレイだ。