オートバイ関係

ケレン味効かせたツモリで書き出す。最近自動二輪の大型免許を取得して外国産のオートバイを購入し早速転倒骨折したらしいカツマーさんがBSデジタルの看板番組で語っていた。
「国産自動二輪市場は一時期の比で10分の1、これはPTA主導の高校3ナイ運動に起因」
総括して1980年くらいからの市場動向を眺めるとそういう分析にもなるのかもしれない、だけども1987年にオートバイに乗り始めた私の実感からはズレる。

1986年と言えば、3ない運動が逆に火を付けたとしか思えない、「空前のバイクブーム」がやってきたときでした。時代は空冷から水冷へ、クラシカルなネイキッドからフルカウルのレーサーレプリカへ、バーハンドルからセパレートハンドルへと、バイクのスタイルが一変した頃です。

なぜ学校教育では満足な交通安全教育が行われてこなかったのか? PART2 ~80年代の高等学校の時代的背景を考察する: 小林ゆきBIKE.blog

1980年ころから暴走族の事故関係が問題になって免許制度が小型中型大型に分割された、大型は試験場で実技試験による限定解除になり教習所での皆伝が貰えない厳しさ。峠道をバンクさせて走り抜けるのが多くのライダーの楽しみ方なんだけど、名所のワインディングロードも次々2輪進入禁止シフトが敷かれた。ところが。バイク雑誌はどんどん売り上げるし困難極める限定解除も事前審査の引き起こしで反対側に倒しただとか加速不十分ダメを恐れて土手にダイブだとかスラロームハイサイドとか20回目とかの伝説が大いに語られる、海外のレースが深夜枠で放映されたり鈴鹿8時間耐久レースがキャンプツーリングの目標地点になったり近所に用事で移動してるのにツーリングライダーからピースサイン浴びたりでっかいどう北海道とかいろんな楽しみ方が爆発的に拡がったのがむしろ3ナイ運動後。わざわざ3万円くらい余分に払ってスポンサーのペイントで飾られたレプリカマシンが垂涎、自主規制の名の下にカタログ数値は抑えてるけど実はS社の250ccレプリカは70馬力出すらしいぜ吸気排気デバイスのアルファベットな名称とゴタクが次々現れるわなんつーかどうにもこうにもな風評と欲しい欲しい時代。欲しい欲しい層の人口も増え加減だしまー今の10倍売れたんだろう。
国産ハイパー合戦もたぶん飽和してきたころ、たぶん米国でソニーテレビ叩き壊しとかトヨタ車バーンとか閉塞不満の時期だったはず。ハーレーデイビッドソン社が市場開放を申し入れてくる、いわゆる「外圧」。「自動二輪は中型に限る」限定解除の敷居の高さと関税がガクっと下がる。私が大型免許を教習所で取得してバイエルン自動車工業のオートバイを買ったのもこの頃。以前の「鬼の限定解除」組からは「教習所で免許を買った」と揶揄されるが、波状路をクラッチ繋いだまんまでズババババーンて走り抜け天に運を委ねてクランクを通り抜け玉砕覚悟でスラロームに突っ込んだあなたたちよりオレのほうが練習した、などというくだらないけど自負もあり。
無頼漢の暴走族は免許とかカンケーねーしどっかから調達してきたバイクに勝手に乗って勝手に鬼ごっこ楽しんでまぁ趣味ライダーとは別のフェイズで活動しているわけだけども。
まー道路で見かける最近のオートバイ、ハーレーとビッグスクターばっかでなんかね、と。