ドキュメント

昨夜の寝入り,テレビ欄を眺めて選んだのは「被害者遺族目線での死刑制度」のドキュメンタリー。2件の殺人事件と10年とかにおよぶ裁きの段取りと遺族の生活を追う。別にフツーに生きてきた人たち,フツーてのは清濁併せ呑みなるべく善行に勤めるけど利己なちょい悪もバランス考えながら呑み込む感じですかね。なのに被害者になって圧倒的な力で善悪の境目決めろと善に立てと強要される,孤立やむなし。
2件のケースを対比した構成になっていて,片や若年犯罪ゆえの残虐な殺人事件で公判進むにつれ当事者も反省後悔の芽生え表現をするようになるだけど遺族「極刑を曲げたら世の秩序まかりならん」的に追い詰められており,片や追い詰められた挙句に罪を憎んでコロシ報復許すまじを訴える。罪と罰,罪が現実に起こることを無視し物語仕立てにすれば簡単だ。だけど罪が行われるに至る段取りは件数分の独特なもので,伴う罰は決められているけどソレを背負う態度もそれぞれで。当事者になってしまう偶然が重なって無理な判断を迫られて結論は分かれた。似た境遇の同じような見た目な2組遺族なんですけど,その判断と行動は分かれる。
死刑反対論者なので「死刑があるから=極刑が死刑だからこんな葛藤を強いる」と自論に都合のいい解釈をする。何度でも書くけど更正とか反省とか根拠に死刑反対なんじゃない,罰として死を要求する仕事とか判決する仕事とか履行する仕事とか,殺す仕事が存在しちゃいかんと思うのよ。