生食の思い出

子供の頃はあんまり外食の習慣がなかった我が家。まぁ昭和50〜60年くらいの期間,ファミレスなどの廉価外食産業が順次勃興した頃でもあるのでどこの家庭もだいたいそんなモンだったかもしれない。ボーナス時期とかだっただろうかわずかに記憶に残るのは父親の会社から割引が得られるステーキハウスみたいな店と近所の寿司店。
中高の同級生かっさんの自宅は食堂であった。南海電車の職員とローカルな宴会とかが顧客だったんだろうか,川縁に迫出した建物が自宅兼店舗でまぁ温泉旅館みたいな風情であり安定営業な飲食店。遊びに行くとちょいちょい肉うどんとかご馳走になった。当時,高校生だと文化祭体育祭とかなんか大人の真似して「打ち上げる」ような風潮があって,そのかっさん家ではなく焼肉屋。かっさんがオーダーするのがセンマイ(ボイル)だとかレバ刺しだとかユッケだとか,そーゆーのをそーゆー食い方するのだという景色は17歳で初めて見た。
大学に進み神戸市内で下宿を始める,異国情緒あふれるシャレオツ中央区ではなく灘東灘である。近所に大吉系の焼き鳥屋がオープンした。テキトーな盛り合わせとビール→地酒→ご飯モノみたいな流れで高くて3000円くらいのレンジ。ある日,鳥茶漬けなるご飯モノを食す茶漬けの具に刺身のササミを並べ,上から湯を掛けた半煮えを食う。いやこれが滅法美味かった印象に残っており,神戸を離れた後も焼き鳥屋ではメニューに探すのだけれど,あんまりないしあって頼んでもなんか違うし。

豚と鳥は良く焼いて食えと刷り込まれてきたレイト昭和世代,もっぱらそのココロは「寄生虫」であったような気がする。大腸菌関係の心配って昭和の頃はあんまりしなかったなぁ。いやしかし,「表面に付着するのでトリミングを行う」てテレビの画面が,削いだ身を剥がした手袋と包丁でそのまま削がれた内側に接触しており,「どうなのよ?」と思った今朝。