オレとオヤジと時々オカン,なんつって

伝え聞く幼少期,オレは茶の間のオヤジの胡坐の間に座っていたという。親戚の集まった際年恰好の似た叔父にウッカリ腰掛けて話しかけられてビックリして泣いたらしい。
少年期(〜15歳)どんどん引っ越すたんびに転校,まぁ小学校3つ一つめは一年生の一学期だけ幼稚園も引っ越して通わなくなったのでまったく誰も知らないピカピカの一年生で1学期で終わりっつー誰の記憶もないし,誰にも憶えられていないだろうな。オヤジはいわゆる働き盛りな40代今のオレくらいなのか,記憶が希薄ですわあんまり家にもいなかったというかいたら面倒くさかったし,机にプリントなど積みあがっていると「片付けなさい|父」な張り紙が出てくる,大慌てで片付けたさ。ドツキの記憶はないけど,口応えようがふて腐れようが結局なにも動揺させられない感じの強敵,「威厳」てのはちょっと似合わない気がするけど。
青年期,高校大学と「外の世界」の比重が増える。「スポンサー」感がこのころの親父の存在感,スポンサーだから成績とかへの口出しがちょいちょいあった,大学留年は山場であった。高校1年の夏休みジャズフュージョングループのライブイベントを見たくて,でも小遣いが足りなくてふて腐れていたら「キチンと行かせてクレと言え」といってチケット代くれたことがあるな。
9時前に帰宅,不機嫌撒き散らす,野球は巨人テレビはNHK,ゴルフ場の会員権が夢,車は持たず免許も取らず,5年置きに結構いいカメラを買う,3年くらいでテレビ買い換える。そんな昭和の父親でしたな。あー,なんか話したいなぁ。