二十歳のオレに

先日近所のお花見どころに出向いたら,時期が時期,地域が地域なので大学生の新歓コンパ花見ズラリと横並び,みんなガムテープで名前貼ってさ,「山手線ゲーームッ」ってまだ誰も携帯電話も持ってなかった頃と同じ遊びですよ進歩ねーな。
テニスサークル季節スポーツサークルパーティーサークルみたいなお遊びチームなんだろうけどまぁオレも大差ない軽音楽部,いやアホらしいけどロック求道は結構必死だったけど,お遊びチームも色恋金銭いろんなヒト関係うまくやる道を求道中なんでしょうきっと。
高校の選択もそうだったけど「とにかくノルマ規則のない」状態を選んだ。規律の行列行進より混沌のアナーキズムを選ぶ,漫画「沈黙の艦隊」の海江田艦長の言葉が好きだ「刑務所の庭を歩く自由より荒波の海を何処までも泳げる自由を望む」とか。いやロマンチックな理想ですが。互いのルール秩序が自律で守られてる前提が,いつでもどこでも通用しないことはオッサンになってから知る。
夏と正月に概ね1週間ずつあとは土日と国民の祝日だけお休み,そんな生活が何十年も続くなんてゾッとしました考えたくなかった。ブラブラギターぶら下げて飲み屋のぞいてちょっと弾かせてよあら久しぶりありがとう楽しかった,明日は何処行くかなまあ飲んで寝ちまうか,あー海見たいな,雑だがそんなスナフキンライフがなんか理想でしたわ。
いやしかし,そんなもんが成り立たない続かないのは知っている判っている。モゾモゾ落ち着かないまま留年とかして,ゾッとするけどしょうがない。昭和の新人研修におなじみの洗脳ぽいプログラムとかこなして,「ほうそういう型か」と染まりもしないけど規律ポーズとる適正がオレにもあったことに気づいたりして,もう16年ほどそのゾッとしてた生活を続けている。ゾッとしてたイメージには仕事の責任と家族の成長それの維持継続ってなくて,それらも追加されたゾッとしてた暮らし。
でも,「これがアタリマエ」だし結構楽しいような気がすることもある。