生きる拠り所

子供のころの平日,民放を見てると9時頃オヤジが帰ってくる。茶の間の団欒テレビタイムの終りのチャイムである。ニュースセンター九時から始まりテレビはNHKに固定だ。部屋にそそくさ引きこもりラジオを聴く,SFショートショートの朗読とかって結局NHKだったりMBSヤングタウンだったり。サラリーマン続けてると消耗材の原価関係とかって結構見えてきて,ケータイ電話安すぎっていうか新機種新契約転がしてビジネスモデルやっと成立のギリギリですな感じとか,新車高すぎまぁディーラに至る雇用支えるにはシートのビニールに20万円(新古車との売価差)払うのもしょーがないかとか,見えちゃうけどやむを得ず消費,そしてビジネス。まぁ大体のテレビバラエティは消費層ターゲットに視聴率って成果主義で制作されているわけで,そこの原価感じちゃってる目線だとくだらないわけで。いやまぁナニを語らんかと。

  1. 新聞

一面下の広告が難病克服本とかのポジティブシンキング詐欺マガイ本なわけで信用できるか,と。

  1. テレビ

なんでめざましテレビはアップルの新製品が出る度に宣伝担ぐのか,女子社員のタレント扱いとか犬コロを「わんこ」ヨバワリとか軽部が薄っぺらいこととか見て笑うけど信用できるか,と。

  1. 雑誌

週刊文春には正義がある,全面ではなく記事1本@1週なくらいだけど。朝日は叩き新潮は嫉みベースで信用できるか,と。

  1. ネット

今だ発展途上で信用するには至らない,けど野放図に犯罪予告から今夜の夕食まで全採用の2chとかには有象無象の集合知というか未来の民主主義を感じることがある。いや感じるだけだぞ。
結局ヒト(まぁ今の日本で標準的な)は教育を受け初めてから20年くらいで身に付けた知恵をベースに変わりゆく社会の中,立って次世代の風避けっていうか安全な環境で一個ずつ憶えていく環境を守って自分もシノいでいくワケであるなぁ,と。